今日のあなたは昨日のあなたじゃない

  • 2018.02.07 Wednesday
  • 23:43






そのとき彼女は

僕の顔を、穴があくほどに見つめていた。

彼女の少し茶色がかった瞳の、真っ直ぐな視線に、僕は少し戸惑う。


「どうしたの?そんな風に見つめて。」


「最近、なにかあった?」


質問返しだった。

でも、彼女の言う『なにか』とは

僕が今朝、いつもの目玉焼きをスクランブルエッグにして食べたことや

彼女と会う前に、新しい靴下をおろして履いたこと

なんてレベルの話じゃないってことは、なんとなくわかった。

それで、「ないと思うよ。」と答える。


「いいえ。」

彼女は、なぜか悲しそうな顔をして、首を横に降った。


「今日のあなたは、前のあなたとは違うわ。

そんな気がするの。」


そんなこと言われても…。

もしかしたら、女性関係を疑っているのか。

僕の方が疑心暗鬼になった。

でもこの話は、これ以上進まずに終わる。

僕らはいつものように、ほとんどの時間を裸で過ごした。



「このあいだは、ごめんなさい。

私、変だったよね。」


一週間後に会ったとき

彼女はそう言って、にこやかにほほえんでみせた。


「いいんだけどさ。

なにか、疑ったりしてたの?」


僕がそう聞くと、彼女は考えるような顔をして言った。


「…ううん、違う。

あのね、また変なこと言うようだけど…。


あのときの私には本当に

あなたがまったくの別人に見えたんだ。

外側のあなたはそのままに見える。

だけどまるで、知らない人間がそのなかにいるみたいに

とっても奇妙な感覚がしたの。」


「…え、なに?ちょっと怖いな。」


彼女の、まるで怪談ぽい話しぶりに、僕は半笑いで答えた。


「ふふ、怖いでしょ?」


彼女も笑ってうなづく。


「でも、ふと思ったりするんだけど。

人って本当に、昨日の自分と今日の自分が同じだなんて

ちゃんと自信を持って言えるのかなって…。」


「昨日の自分と、今日の自分?」


「そう。」


彼女は、両手の指を交差するように組んでから

自分のあごの辺りに置いた。

それから僕をまっすぐ見つめたあと

照れたようにうつ向いて、話をする。


「私ね、寝る前に、日記みたいなものを書いてるの。

たいしたのじゃない。

コレコレこういうことがあったっていうより

自分がその日に感じたことが中心の、短い文章。


それで、過去になんて書いたか、読んでみることがあるの。

暇潰しにね。

そうすると、ちょっと不思議な気持ちになるのよ。

なんで私、こんなこと書いたんだろうって。

自分が過去に書いた日記を読みながら、かすかな違和感を覚える。

もちろん、記憶はちゃんとあるわ。

そこに書かれているように、思ったり感じたりしたってことはね。


でも、実感としては微妙なの。

それを思ったり感じたりしていたのは

自分じゃない、まったくの別人じゃないかって

そんな気さえしてしまう。

とても良く知っている人ではあるんだけど…。

やっぱり、別の人。」



「僕には経験のないことだけど、興味深いね。」


ウイスキーの水割りが入ったグラスを傾けながら、僕は言った。


「そういえば。

僕はある日、フライの類をあまり食べなくなった。

前はとても好きだったのに。

これも、関係ある?」


「関係あるかもしれないし、ただ単に年齢のせいかもしれない。」


彼女はイタズラっぽい目をして答えた。


「でも、そう。

人の好みでも思考でも、自分では意識していないところで

毎日少しずつ、変わり続けているんじゃないかってこと。

体の細胞が入れ替わるのと同じように。

それはたいてい自分でも気づかないし、人にもわからない。」


彼女はまた、小さくほほえむ。

その薄いくちびるが、彼女の気持ちと連動して動くたび

僕の心はなぜだか、少しだけ痛んだ。


「だから、あなたのことを前のあなたじゃないって感じたこと。

あながち間違いじゃないって、思うわけ。

そうして。

私があなたを恋しく思い続けていることも

決して、当たり前のことじゃない。

今日のあなたを思う気持ちは、昨日とは違う。

それは、とても瑞々しくて新鮮な、冒険みたいなものだわ。」


そう言い終わると、彼女はしばらく口を開かなかった。

僕は彼女の横に座って、肩を引き寄せる。

彼女がそう望んでいる気がしたから。

彼女の髪からは、いつもの香水の匂いがする。

その、甘いけれど儚く消えるような匂いは

僕のなかの彼女の印象に、そのままぴったり来るようだった。

甘いけれど、後には残らないもの。


それから僕は、彼女の飲み物を取りにキッチンに向かう。

といっても、僕の住むワンルームのキッチンでは

会話が中断されることもない。


「ということは。

きみが今日の僕を好きでいても、安心できないということだね。

明日の僕のことまで、気に入るとはかぎらない。」


レモンを浮かべたアイスティを受け取った彼女は

グラスに口をつけてから、こう話した。


「ふふ、そうかもしれない。

でもね。

これまで、私はずっと、あなたに熱情の目を持ち続けてる。

自分でもちょっと、どうかと思うほどに。

今日も、たぶん明日だって。」




次の週は、僕の仕事の都合で、彼女には会えずにいた。


僕らはこの二年間、週に一度のペースで会っていた。

会わない方が珍しいことだった。

この会話の11日後、彼女はこの世を去ったのだ。

突然の事故に巻き込まれて。


彼女は人妻で。

彼女の夫と僕は仕事のつながりがあり

僕が通夜に出席することは、自然な流れだった。


彼女の、もう決して動くことのない

茶色がかった瞳を隠したまぶたや、薄いくちびるをただ見つめながら

僕が考えていたことは、主に二つだった。


一つは、彼女のつけていた日記のようなもの。

そのなかに、僕のことが書いてあるのだろうか。

もしそうなら、それを彼女の夫が読めば、僕たちの関係は明るみになるのだ。

とても、分りやすいかたちで。

けれど、それでもいいような気もしていた。

もう、彼女は死んでしまったのだ。

どうにでもなれ、という投げやりな気持ちが僕にはあった。


それから、もう一つ。

僕が最後に見ることが出来たのは、あの、11日前の彼女だった。

彼女が最後に見たのもまた、11日前の僕だ。


僕が彼女の瞳にうつることはない。

永遠に。

それで失望されることもなければ

瑞々しい冒険心によって見つめられることもない。

そうして新たな、熱情の気持ちを持たれることも。


僕たちは、どちらかの心変わりによって離れたわけじゃなかった。

それは、彼女の死によってだ。

出会った頃にくらべれば

僕の彼女への気持ちは、だいぶん落ち着いてはきていた。

この危うい関係について

そう遠くない時期に、なんとか終わらせるべきだろう。

そんな風にも。


しかし唐突に彼女を失ったことで

僕は完全に、何者かにとらえられたような気がする。

息を吸っては吐くことも困難にさせるほどの

胸に押し寄せてくるいくつもの記憶と、それにともなう感情たち。


彼女が言うように

僕らは自分の意思とは関係なく、変わり続けているとしよう。


それならこの先、今感じているこの重苦しい胸の痛みも

自分じゃない、別の人間の痛みのように

感じる日がくるんだろうか。


あの日の彼女が、秘密話でもうちあける様子で

僕に語ったみたいに。





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