真下くんの恋 13
- 2018.04.28 Saturday
- 17:35
真下くんのお父さんが病院に運ばれた土曜日の早朝。
私とお母さんは不安げな真下くん一家がなるべく落ち着いてくれるような言葉を添えて、病院をあとにした。
それから日曜の夜まで真下くんからの連絡はなかった。
『今からちょっと外に出られる?
大丈夫だったら、モナミさんちの近くの公園で待ってる。』
というメッセージを受けとるまでは。
モカブラウンの長いマフラーをグルグル巻いた私が白い息を吐きながら公園に到着したとき
ベンチに座っている真下くんは片手を上げ
「やあ。」とおだやかな表情で挨拶したのだった。
「ごめんね。寒いなか。」
私がベンチに座ると、真下くんが白い息を吐きながら口を開く。
「なんだか、モナミさんとふたりで話したい気分で。」
「 … それはいいんだけど… 。お父さんは、どう?」
青いニット帽に包まれた、真下くんの横顔を見ながら私は聞く。
「一一 うん。やっぱり心筋梗塞だった。
でも、軽くてすんで。
何週間か入院して、治療を受けて。
薬を飲めば、いちおう大丈夫みたいなんだ。」
「そうなんだ!
えっと… 、良かったんだよね?」
「一一 うん、良かったんだよ。」
真下くんは私の顔を見てニッコリと笑った。
私はいつものその笑顔でホッと胸を撫で下ろす。
「あれから少し、父さんとも喋れたし。
ケンカして家を飛び出したこととか、『ごめん』って謝ったよ。
もちろん、そのうち謝ろうとは思ってた。
だけど、僕の方にも言い分があるわけだし、なかなかそう簡単には引き下がれなかったかもね。
こんなことがなければ… 。
あの朝、僕は父さんが倒れたことで頭が真っ白になった。
モナミさんとおばさんに迷惑をかけてるってことにも気づかないくらい、どうしようって動揺してたんだ。
そうなんだ… 。
おばさんにもあらためて挨拶に行くからね。」
「平気だよ。迷惑じゃないに決まってるでしょ。」
私の言葉に、真下くんはうつ向いて青いニット帽をぐっと深くかぶり直す。
そうしてカーキ色のダウンコートのポケットから左の手のひらを差し出した。
「モナミさん… 、ちょっと。手をつないでもいい? 」
私は一瞬戸惑ったけれど、すぐに「うん。」とうなづいた。
真下くんが差し出した、寒さで少しかじかんだ左手をそっと握る。
私たちはしばらくなにも話さずに手をつないでいる。
「うちの父さんてさ、本当の父さんじゃないんだ。」
「え? 」
「あっ、妹は父さんの子だよ。
つまり、僕の本当の父親と離婚した母さんが再婚した人なの。
今の父さんは。
僕とは血がつながってない。」
夜の冷たい空気を確認するみたいに、真下くんは大きく深呼吸した。
私は10秒くらい口が聞けずにいる。
「… うそ、そんなの知らなかったよ。」
「だよね。言わなかったし。」
つないだ手を小さく左右に揺らしながら真下くんは言った。
「ずっと黙ってて、ごめん。
言えなかったのはね… 。
離ればなれになったとはいえ、本当の父親がいて
血がつながらないとはいえ、生活をともにする父親がいる。
なのに僕はずっと、自分は不幸だと思ってた。
たぶんそんな風に思うことで、自分は許されるような気がしてたんだ。
周りに馴染めないこと、馴染みたいと思えないことから。
両親の離婚と、再婚を経験して 。
一一 そう、僕の本当の父親は群馬県に住んでる。
父もまた、別の人と結婚して子供をもうけたんだ。
そういうのってさ、子供としてはやっぱり傷つくでしょ?
だけど5年生のクラス替えで、モナミさんと仲良くなって。
モナミさんには生まれたときから、お父さんがいないということを知った。
それで『ああ』って思ったんだ。
親のことを免罪符にするのはどうなんだろうって。」
犬の散歩をしている高齢の夫婦が、私たちの前を通りすぎる。
夫の方がリードをひき、奥さんはエチケット袋を手にぴったりと隣を歩く。
真下くんはその大きな犬を見送るように、しばらく視線を向けていた。
「誤解してほしくないのは、別に、不幸を比べてるってことじゃないんだ。
ただもう、やさぐれる理由にはならないって。
そういうことに気づいただけ。」
あっけにとられた顔をしながら、ただ話を聞いていた私もそこで口を開く。
「真下くんて、やさぐれてたの?」
「フフ、笑わないでよ。 一一 まあ、ちょっとやさぐれてたかも。
ほら、小学校の担任だった野村先生いたでしょ。
けっこう話を聞いてもらったりしてたんだ。
野村先生ってなんとなくだけど、うちの父親に雰囲気が似てて。
本当の父親のほうのね。
だから話しやすかったし、父親が再婚したタイミングもあって、野村先生には精神的に、かなり助けられたよ。」
つないだ手を持ち上げ、私の方に向けて真下くんは言う。
「もちろん、モナミさんにもね。」
「そんな…… 。
私はなんにもしてないよ。
ごめんね、知らなかったとはいえ… 。」
私はうつ向いてつぶやくように言った。
それにたいして真下くんは、「ちがうよ。」と首をふる。
「いてくれて良かった。これは絶対。」
「… うん。」
私は素直にうなづいた。
「今回のことで。
僕が父さんに持っていた複雑な感情が、一気に吹き出したみたいで、ちょっと怖いくらいだった。
たぶん僕は、ずっと父さんに対して反抗していたんだ。
今に始まったことじゃなく。
それってさ、わかりやすいやり方じゃなくて、なんていうか… 、とても意地悪な反抗の仕方だった気がする。
面と向かって問い詰めることが出来ないような。
それでいて、存在することはわからせるような、そんなやり方。
でも、今回のことで気づいたんだけど、僕は父さんに生きていてほしい。
自分でもびっくりするくらい強くそう思う。
血がつながらないとかそういうのは関係なしに
僕が12年間一緒に暮らしてきたのは、あの人なんだ。
同じものを食べ、テレビを見て、お風呂に入って、同じ空間で眠った。
相手の発する空気をいやおうなく吸い込みながら、生活してきた。
それは、変えようのない事実だよ。」
真下くんは、遠くを見るような顔をして話した。
これまでのお父さんとの日々を、17才の彼なりに懐かしんでるみたいに。
私はなんとか真下くんのお父さんを自分の記憶から呼び出そうとする。
お母さんの方はよく顔を会わせたし、挨拶をして言葉を交わした。
だけど。
そういえばお父さんにはほとんど会ったことがなかった。
真下くんはお父さんのいないときを見計らって、私を家を上げていたのかな。
もしかして、子供の頃からそんな所にも気を配っていたんだろうか。
考えるうち、私の胸は小さくチリチリと、焦げつくように痛むのだった。
だけどこれは同情じゃない。
比べているのでもなく。
ただの現象なんだ。
真下くんの目にうっすらと涙の層が出来ていることに、私は気づく。
赤いくちびるが少しだけ震えていることにも。
私はつないでいた手を離し、真下くんのニット帽に置いた。
ポンポンッとやさしく頭をタッチする。
泣いていいよ、という合図だった。
それでも、表面張力をギリギリたもっている真下くんの瞳からは
涙のツブがこぼれ落ちることはなかったけれど。
私たちは、また手をつなぎ直した。
「手をつなぐのって、なんか安心するね。」
と言いながら。
真下くんもグズグズしてる鼻をすすってうなづく。
寒い夜の公園のすみっこにいる私と真下くん。
反対側のすみっこには大きな犬を連れた、寡黙だけれど仲が良さそうな高齢の夫婦がいる。